中国文芸研究会9月例会記録

9月日 於京都白雲荘 出席者 名


『野草』64号合評会


 
 『野草』64号の合評会が大阪経済大学にて参加者18名で行われた。

合評会は、「再論:内戦期の蕭軍」から始まった。今までの蕭軍に関する論文が、蕭軍の批判者によって彼の思想が如何に歪曲されたかを指摘し、蕭軍の真意が共産党の政策と如何に合致していたかを実証する蕭軍擁護論であったのに対し、下出論文は蕭軍と共産党との矛盾点を彼の言説から引き出すことにあると評された。この論文について、日本支配下で生活し「解放」を迎えた東北人の意識、東北人の現実を蕭軍の論争と結びつけて洗い直す必要性が欠けているのではないか等、当時の社会状況を考慮に入れたものにすべきという指摘があった。その他、蕭軍の入党問題をどう理解すべきかということに対する解釈が、「偽装転向」であるとするのは苦し紛れのこじつけである等の意見が出された。

 「二言語の間にもたらされた権力――雑誌『満州国語』における中国人作家たち」については、多くの意見が述べられた。満州国の教育部における「言語文化政策」をおさえた上で研究会がどうだったのかを指摘していない、この雑誌は上からどのような問題意識として下ろされてきたのかが不明瞭である、『満州国語』という雑誌が発行された当時の満州国において東北の言語に対する文化的自覚はどうなのか等の意見が出され、『満州国
語』という雑誌が出された背景を無視し、それを安易に国民国家言語論へと無理につなげているのではないかというのが主要な意見であった。

「交錯するまなざし」については、日本の内地、沖縄、台湾とその三段階を上から下へとつなぐ思想は単純化しすぎで、植民地化する前に台湾と沖縄がもともと持っていた文化的な意味合い等の歴史的な意味合いを考慮に入れる必要性について論じられた。

「日本砂漠化の二人の詩人」については、方法論をめぐる問題と論文中に出てくる「パラムバゴ中隊」という詩をめぐる解釈の違いが議論された。

「40年代抗戦期の馮至」については、まずこの論文とその著者佐藤氏の関連が論ぜられた。佐藤氏は今までに多くの馮至に関する論文を書いておられるが、雑文と学術論文の部分だけが空白である。その欠けた部分を補うつもりでこの論文が書かれたのであろう。この論文はすでにある資料の整理と紹介であろうことが推測され、論文中で取りあげられた『山水』の評価は持ち越しされており、また『十四行集』等の作品を含めたトータルな四十年代の馮至像に対する考察がなされていないので、今後期待したいところである、との意見が述べられた。

「虚構と叙述――魯羊の小説について」に関しては、論文の主旨が大変読み取りにくい等の意見が出された。魯羊は寡作な作家であり、新しい時代の作家の中で大量の作品を粗製濫造する型の作家ではなく、一つ一つの作品の完成度もかなり高い。小説に用いられた構成と内容は緊密な関係を保っており、技巧を凝らして新奇を衒う作家ではない。しかし、読みやすい物語風の作品に比べ、魯羊の作品は用いられる言葉からして難しく、主題が一回読んだだけで表面に浮かび上がってくるような作品ではない。そこで、この論文を見る限り、論文の論者自身も果たして魯羊が何を言いたいのかを読みとれたのかどうか大いに疑問である。このようなマイナーな作家を論じるときは言葉遊びに終始するのではなく、わかりやすい表現に心がけるべきで、まずこれから中国文学に興味を持とうという日本の若い読者に、「魯羊」という作家の作品を読ませることを考慮に入れて書かれるべきである等の意見が述べられた。

「蕭紅の蕭軍宛書簡を読む」については、東京における創作活動、日本語学習の様子、魯迅の訃報へのショック、蕭軍との意識のずれ等が読みとれるという意見があった。

以上、長時間にわたる議論がなされたが、議論は基本的にどの論文に対しても、大きな枠組みの中でのその事柄がどのような意味をもつのかという観点をよりはっきりさせるべきだという点にまとめられる。ただ、論文を書かれた方々がこの例会には全く参加されておらず、意見を相互交換できず、一方的であったのは残念であった。(M)


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